連続テレビ小説「まんぷく」は平成最後の作品!安藤百福はどんな人?

平成30年後期のNHK連続テレビ小説の概要が発表されました。第99作にして、「平成」の年号では最後となる作品です。

「まんぷく」という題名で、安藤 百福さんと奥さん仁子さんがドラマ内容のモデルとなっています。

安藤 百福さんですが、私達の生活でとても身近のものを開発した人ですが、おわかりでしょうか?

 

カップヌードル」の開発者で戦前~戦後にかけて、激動の時代を生きた人生と無一文から即席ラーメンを開発したストーリーが展開されます。

脚本は龍馬伝やガリレオで知られる、福田 靖さんですので平成最後の連続テレビ小説を飾るには申し分ないでしょう!「福」という字がどちらにも付いているのも、偶然なのでしょうか?

そこで今回はカップヌードルの創始者、安藤 百福さんについて調べてみました。

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安藤百福はどんな人?

安藤 百福さんは1910年3月5日生まれ、台湾出身で日清食品の創始者です。百福は、ももふくと読みます。96歳に永眠されました。

幼い頃に両親を亡くしていて、呉服屋を営む祖父母のもとで育てられました。小さい時より、商売が身近にあり、

独立心と事業意欲が旺盛だっと安藤さんは「誰もやっていない新しいことをやりたい」と、繊維事業を立ち上げました。

メリヤスを販売する会社で大成功を収め、幻灯機製造、炭焼き事業、製塩と時代の流れをいち早くキャッチし、事業化する商才を発揮していきます。

どんな事業でも「何か人に役立つこと」「世の中を明るくする仕事」を信念に行っていきました。

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安藤百福が開発したチキンラーメンの歴史

安藤 百福さんは1957年に理事長を務めていた信用組合が破綻し、全ての財産を失いました。残ったのは借家のみ・・・

終戦後、食糧難となった国内では空腹の人々であふれ、栄養失調のため倒れる人もたくさんあふれていました。この光景にやっぱり「食」が大事。食がなければ、衣、住も文化、芸術もないことを痛感しました。

そんなある日、大阪駅近くの闇市で1杯のラーメンを食べるために長い行列ができているのを見て日本人が麺類が好きであることを実感

アメリカからの余剰小麦粉がパンやビスケットばかりになっているのことや、同じ小麦粉なら何故、麺類を作らないのか?と疑問を感じていました。

麺類に需要があると確信した、安藤 百福さんはお湯があれば食べられるラーメンの研究を開始し、それが後のチキンラーメンとなります。

人の役に立ちたいという理由だけで、素人同然の人が麺作りをし開発した商品が今もなお、身近にあるのは凄いですよね!

飽きのこない味、食品の絶妙なバランスを丸一年間4時間の睡眠以外、研究し続け、最後にぶち当たったのが長期保存方法。

保存と簡便性の実現に悩んでいたところ、ある日妻の仁子さんが台所で、てんぷらを揚げていました。

その光景を見た瞬間、天ぷらの原理を応用すればいいんだ!と閃きます。麺を高温の油で揚げることで、水分が弾き飛ばされ、完全に乾燥した麺は半年間放置しても腐敗、変質しないことを確認。

さらに、お湯をかければ水分が吸収され元の状態に戻るようになりました。ここで、インスタントラーメンの基本となる瞬間油熱乾燥法が完成しました。

カップラーメンが人気になったのはあの事件がきっかけ?

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カップヌードルは1971年に発売され、即席でどこでも食べれるのが若者を中心にうけ、多い日には2万食売れる日もありました。

そんな、カップヌードルの人気が急上昇したのが1972年に起きた、連合赤軍による「あさま山荘事件」。

連日テレビで中継され、山荘を取り囲む警察機動隊がカップヌードルを食べている様子が、放送されていてそれが全国の視聴者へのアピールとなり売れ行きが急上昇!

1973年にはアメリカに進出し、ブラジル、中国、インド、オランダと世界に進出し、日本生まれの世界食へとなりました。

さらに、カップヌードルの技術は宇宙食にも応用され2005年には野口 聡一郎さんが人類初、宇宙空間でカップラーメンを食べたのも有名です。

晩年も研究熱心だった、安藤さんの生き方には学ぶものがたくさんありますね。

(引用:www.nissin.com)

 

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コメント

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