2019年1月から新たに大河ドラマが始まりますね。
脚本は宮藤官九郎さんが担当し、日本がオリンピックに初参加した1912年から1964年の東京オリンピックまでの時期が舞台になっています。
実在した人物をベースに描かれ、宮藤官九郎さんが手がける作品に注目ですね。
そんな中、北野武さんも登場されます。
北野武さんが演じる人物が”古今亭志ん生”という人物。
このオファーを受けた時、北野武さんはとても嬉しかったと発言しており、どんな人物なのか気になりますね!
そこで今回は古今亭志ん生さんについて調べてみました。
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古今亭志ん生(5代目)の経歴や生い立ちは?
早速、古今亭志ん生さんについてチェックしていきましょう!
- 本 名:美濃部孝蔵(みのべこうぞう)
- 生年月日:1890年6月5日
- 没年月日:1973年9月21日(83歳没)
- 出身地:東京神田亀住町
父は美濃部戍行(みのべもりゆき)さんと言い、母は志う(しう)さんの五男として誕生。
祖先は高位の士族で生家は菅原道真の子孫を称する徳川直参旗本であった美濃部家だったそうな。
古今亭志ん生さんは、小学校卒業間際の11歳の時に素行が悪いため退学させられます!
その後奉公に出されるも奉公先を転々とし、朝鮮のソウルの印刷会社にいたこともあるんだとか!
日本に帰ってきた後も住んでいる所が治安が悪かったためか、博打、飲酒、喫煙は当たり前に覚えていきます。
そして博打で借金を作ってしまい、父が大事にしていた煙管を質屋に入れるのがバレると父親は激怒し槍を持ち出して勘当宣言をします。
そして母の制止も振り切り、本当に家を飛び出してしまいそれ以来実家には寄り付かなくなりました。
古今亭志ん生(5代目)と落語の出会いは?
かなりやんちゃ坊主だったことがわかった古今亭志ん生さん。
昭和の方の幼少期ややんちゃしていた時期って、なにか飛び抜けてぶっ飛んでいる人が多い気がしますね・・・
そんな古今亭志ん生さんですがどのタイミングで落語と出会うのでしょうか?
家を飛び出した後、知人友人の家を転々としていましたが、芸事に興味を抱くようになり、天狗連(素人やセミプロの芸人集団)に出入りし始めます。
簡単な経歴はコチラ。
- 1907年頃:三遊亭圓盛(2代目三遊亭小圓朝門下、本名:堀善太郎)の門で三遊亭盛朝を名乗るが、まだプロの芸人ではなくセミプロであった。
- 1910年頃:2代目三遊亭小圓朝に入門し、三遊亭朝太との前座名を名乗る。5代目志ん生自身は、当時名人と称された4代目橘家圓喬の弟子であったと生涯語っていた。
- 1916年~1917年頃:三遊亭圓菊を名乗り前座と真打の間の二つ目になる。
- 1918年:4代目古今亭志ん生門に移籍し、金原亭馬太郎に改名。
- 1921年:9月に金原亭馬きんを名乗り、真打に昇進。
古今亭志ん生さんは周囲と上手く合わせる気もなく、愛嬌もないためか腕はあるものの売れるまでには長い時間を要しました。
1932年に3代目古今亭志ん馬再び名乗っていた時に売れ始め、1939年の49歳の時に古今亭志ん生を襲名。
落語を始めてから何と16回も改名したそうな。
それから戦時中には満州にわたるも終戦後に帰れなくなり、引揚船の出港を待ちわびながら生死ギリギリの生活をするはめに。
1947年に何とか帰国した時は、奥さんの顔は幽霊を見たような顔だったとか。
何でも易者に「夫は既に死んでいる」と言われその言葉を信じていたようです^^;
それから戦後に放送法が成立しラジオ番組が開始され、古今亭志ん生さんの大人気となります。
やはり職人気質のためか、気分が乗らなければ落語を途中で辞めたり、話の途中から内容が滅茶苦茶になることも。
そんな破天荒ぶりも古今亭志ん生さんの人気を後押ししました。
1961年に脳出血で倒れてからは芸風が変わります。
聞かせる落語に変わってから、病前と病後に分けられますがどちらも味があったと言われています。
芸術祭賞受賞を2度受賞、落語協会会長にも就任し落語の発展に貢献しました。
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古今亭志ん生(5代目)に子供はいる?孫は池波志乃!
さて、破天荒だった古今亭志ん生さんですが結婚して子供はいたのでしょうか?
1922年に清水りんさんと結婚。
酒、博打好き、親兄弟とは絶縁状態の古今亭志ん生さんを選ぶ、奥さんもすごいですが・・・
極貧状態にも関わらず、古今亭志ん生さんは3人の子宝に恵まれます。
- 1924年:長女・美津子誕生
- 1925年:次女・喜美子誕生
- 1928年:長男・清誕生
長女誕生の前年には関東大震災も発生しています。
相も変わらず、頑固な古今亭志ん生さんは、5代目三升家小勝(みますやこかつ)と対立し
落語界に居場所を失います。
何とか、町工場で働いたり、講釈師になったりして収入を得ます。
謝罪して落語界に戻ってきても真打ちではなく、前座として端席に出るのがやっとでした。
長男誕生した頃に一家は夜逃げします。
しかし次に住み始めたのが震災の家不足を補うために、田んぼや池を埋め立てた場所でした。
湿気が酷いためか、ナメクジや虫がうようよしており、ナメクジ長屋と言われていまいた。
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毎朝、ナメクジを拾うのが日課になっていたそうな。
貧乏時代が長かったですが、そんな古今亭志ん生さんに添い遂げた妻のりんさんが一番すごいのかもしれません。
ちなみに長男・清さんは後に金原亭馬生(54歳没)となり長女が中尾彬さんの妻の池波志乃さんです。
つまり池波志乃さんのお爺ちゃんは古今亭志ん生さんなのです!
池波志乃さんの家系にも驚きです。
来年最初の大河ドラマが楽しみですね!
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