日本大学医学部に付属する板橋病院の建て替え工事の契約をめぐり、日大に2億2千万円の損害を与えたとして日大理事の井ノ口忠男(64歳)と大阪市の医療法人「錦秀会」前理事長・薮本雅巳(61歳)を逮捕しました。この記事では井ノ口ただお容疑者の息子について調べてみました。
井ノ口忠雄の息子は日大アメフト部OB「親子揃って甲子園ボウル出場」
井ノ口忠雄には2人の息子がおり、自身と同じく日本大学アメリカンフットボール「フェニックス」の部員でした。
- 長男:井ノ口悠剛(いのぐちゆうご)
- 身長:172cm
- 年齢:30~31歳
- 高校:阪南大付属高校
まずは長男から見ていきましょう。現役時代の背番号は39。井ノ口ゆうごさんはキッカーというポジションでアメフトの中でも「蹴る」だけのポジションでボールとキャッチしたり、タックルをするようなことはありません。一見地味に見えますが、3点の得点を狙う「フィールドゴール」や試合開始や得点を決めた直後のキックオフの局面で正確に狙った箇所にボールを蹴らなければいけません。
井ノ口悠剛さんは現役時代はかなり能力の高い選手で2011年の関東リーグのシーズンの国士舘大学戦ではリーグ新記録となる56ヤードのフィールドゴール(3点を狙うこと)を決め話題に。56ヤードというとアメフトのフィールドのちょうど中央から蹴って点を決めているので、アメフト経験者ならこの凄さはかなりすごいと感じるでしょう。
さらに大学日本一を決める甲子園ボウルの関東代表を決める「あずまボウル」では対戦した法政大学戦でも49ヤードのフィールドゴールを成功させた。その活躍であずまボウルでは、見事MVPにも輝いており、チームを勝利に導いた。2011年に東日本代表として甲子園ボウルに出場し関西学院大学と対戦。結果は24-3で負けますが、唯一の得点である3点は井ノ口選手が決めました。大学卒業後は日本大学アメフト部のコーチへ就任し、田中理事長の運転手兼ボディガードもしていました。
輝かしい記録を持つ井ノ口ゆうご選手には悪いうわさも。
有輪選手は日本大学歯学部でキッカーということで注目されていた選手でした。1年生のときには第2回U-19世界選手権テキサス大会にもキッカーとして選出されるほどの実力の持ち主。井ノ口ゆうご氏は自分の持つキッカーの記録が日大で働き続けるうえで重要な役割を果たしていたのでしょうか・・・
- 次男:井ノ口清剛(いのぐちせいご)
- 身長:182cm
- 年齢:28歳
- 高校:大産業大学附属高校
次に次男の井ノ口清剛選手。せいご選手は高校時代にアメフト日本一を経験しています。この大産大は野球でいうところの大阪桐蔭といったアメフト強豪校です。せいご選手はQBからパスをキャッチするワイドレシーバー(WR)という花形ポジション選手です。鳴り物入りで日本大学へ進学し1年生の時から1軍で試合に出場。ところが、有頂天となっていたのか次第に試合出場機会も減り、1.5軍、2軍へと降格。気づけば入部時に無名だった選手にも追い抜かれるはめに・・・。清剛さんは2012~2015年の期間、アメフト部に所属。2013年、2014年に日大は甲子園ボウルに出場していますが、試合には出れませんでした。ですが、現在は社会人チームのアカヒビールシルバースターで選手として現役で活躍されています。
井ノ口忠男の現役時代は最優秀守備選手に選出される
- 名前:井ノ口忠男(いのぐちただお)
- 年齢:64歳(2021年10月現在)
- 学歴:追手門学院高等学校–>>日本大学
2人の子供が日本大学のアメフト部OBである井ノ口忠雄氏。実は忠男氏の現役時代がかなりすごいんです。井ノ口氏は大阪にある追手門学院高校でアメフトをはじめ日本大学へ入学。1978年の3年生時には最優秀守備選手に選出されました。ちなみに井ノ口ただお氏のポジションはラインバッカー(LB)といって、守備の真ん中を守る選手。ブロックにくるオフェンス選手を処理したり、ボールをもっている選手にタックルしたりと一番コンタクト回数が多いポジションです。
1979年の4年生時にはキャプテンとなり、甲子園ボウルでは関西学院大学を48-0で下し見事、大学日本一に輝きました。一部の方が社会人日本一と大学日本一を決めるライスボウルを4度優勝したと記載されていますが誤った情報です。ライスボウルは1984年から開始されたので井ノ口ただおが学生のときには開催されていません。日本大学が通算4度ライスボウルで優勝しているのが正しい情報となります。
井ノ口忠男が有名になったのが2018年の日大悪質タックル事件。プレイ終了のホイッスルが鳴っているにも関わらず、無防備なQBめがけて日大の守備選手がタックルしたことが問題に。100kg以上ある守備の選手が背後から急にタックルにくるのは相当な危険行為です。タックルされた選手は腰の捻挫程度ですみましたが、頚椎損傷と選手生命どころか日常生活にも支障が出る可能性があります!当時は日本大学の井上コーチと内田監督からの反則するようにとの指示があったとして日本中が注目する事態にまで発展しました。
その問題の渦中にタックルをした選手の父親に対して「コーチや監督からの指示は無かった」と選手へ証言させろ!と暗に口封じの打診をし「もし従わない場合は日大の総力をあげてつぶしにかかる」と恫喝。恫喝したことが問題となり2018年7月に理事を辞任しますがその後、日大事業部へ復帰。2019年には役員となり、2020年9月には再度理事へ就任しています。
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