星野敬太郎の死去した理由は自死か「引退撤回を4度した伝説のボクサー」元ボクシング世界王者他界

星野敬太郎,死去

WBA世界ミニマム級元世界王者の星野敬太郎氏が、現在住んでいる沖縄県内の自宅で死亡していることがわかった。死去したことは星野けいたろう氏の師匠である花形ジムの花形進会長が発表。星野氏は4度引退宣言を撤回しながらも世界王者に返り咲き、自身が経営する飲食店も人気店としました。この記事では星野敬太郎氏の死因や現在の活動についてまとめてみました。

星野敬太郎の死去した理由は自死か「妻の暴行逮捕で子供に会えなくなった」

星野敬太郎氏が死去した理由は明らかになっていませんが、以前から自死したい願望を知人に漏らしていたとの情報が。これは星野敬太郎氏を”兄貴分”として慕っていた方のブログです。

前はもう死ぬわとか自殺するとかそんな事言うからマジで死のうとするんだったら星野さんで殴ってでも止めますよって言った事はある

何やってるんだ星野敬太郎死んだらダメだって死んだ全部が終わっちゃうんだよ

さらに沖縄へ移住していたことはごく一部の人しか知らなかったとのこと。

周囲のごく一部の人にしか沖縄移住を伝えていなかった理由が気になります。いろいろ調べたところ、星野敬太郎氏には逮捕歴があることがわかりました。2017年に5歳年下の元・妻が同じプロボクサーの飯田覚士(いいださとし)氏との不倫疑惑が報じられました。

星野敬太郎,死去

当時は美紀さん、虎太郎くん(長男)、美虎ちゃん(娘)の4名家族構成でした。深夜での密会している事を問いただした際に美紀さんの頬を平手打ちしたことが発端で逮捕されてしまいました。当事者である飯田覚士氏にも取材したところ「打ち合わせしていただけ」と苦し紛れの弁明が。後に美紀さんは飯田覚士さんのファンだったこともわかっていますが真相は闇の中へ葬られました。

逮捕後星野さんは「子供にも会えなくなり、ボクシング界にも顔を出しにくい立場になった」と怒りをあらわにしており、引退後岐阜県各務原市内に設立したコパン星野事務も閉鎖に追い込まれました。そんな星野けいたろうさんは2018年に再婚されています。

奥さんは相沢泉さんという一般女性でした。横浜関内駅近くに「WiiVi」というレストランバーを経営していましたが、お店を閉じ沖縄へ移住していました。沖縄移住は現在の奥様としたのかも不明ですが、離婚されているかもしれません。

  • 兄貴分として慕っていた方のブログ内容
  • 元妻への暴行→逮捕後、自身のジム閉鎖と子供に会えなくなる
  • 再婚後、お店の経営が上手くいかず、心を病み闘病のため沖縄へ移住

生きる活力を無くしてしまい、自死してしまった可能性もありますが、格闘家で2018年の胃ガンのため他界した山本キッド選手のように弱った自分を見せたくなく、地方の病院へ入院していたことも考えられますね。

同じモハメド・アリさんはパーキンソン病という安静時の手足の震え、筋肉の固縮する病気を発症していました。ボクサーのように何年も頭部に強い衝撃をもらいつづけると、パンチドランカーのような症状となりパーキンソン病を発症しやすいと言われてきました。ただ、パーキンソン病は直接的に命に関わるようなことはなく私生活に介護が必要となるような病気です。よってパーキンソン病を発症していたとしても直接的な死因とはならないですね。

星野敬太郎の身長や経歴「引退撤回を4度した伝説のボクサー」

星野敬太郎さんのプロフィールはこちら。

  • 名 前:星野敬太郎(星野けいたろうさん)
  • 生年月日:1969年8月14日
  • 年 齢:52歳(1969~2021)
  • 身 長:159㎝
  • 出身地:神奈川県横浜市
  • 出身高校:武相高校

星野けいたろうさんは高校時代にモスキート級で3位に入賞。1988年花形ジムからプロデビュー。初戦は判定負けを喫するも2戦目で見事勝利。ところが2戦目後に引退宣言をするも2年半後には復帰し1996年8月に日本ミニマム級王座を獲得。2000年12月にガンボア小泉を下し、WBA世界ミニマム級王座を奪取しました。

2001年4月に初防衛戦に敗れると2度目の引退表明。すぐさま引退を撤回し2002年1月にWBA世界ミニマム級王座返り咲きました。初防衛戦に敗れた後、引退表明から現役復帰を繰り返したものの2003年にホセ・アントニオ・アギーレに12回KO負けを喫した後、日本ボクシングコミッションに正式に引退届を提出し本当の引退となりました。

ボクシング時代の戦績は33戦23勝10敗、内6KO。星野敬太郎さんは現役時代に横浜市に「美とん・さくらい」で料理長をしお店で考案したチャンピオン丼が3,000食を突破し大ヒットで有名店にもなりました。星野氏はディフェンスマスターとの異名も持ち、相手のパンチに対して自らの首をひねって威力を半減させる「ストリッピングアウェイ」の名手でした。所属ジムの会長・花形進氏はWBAフライ級世界王者、弟子の星野敬太郎氏も正解王者となり、日本初の師弟世界王者としても有名となりました。師匠である花形氏とは何年も連絡をとっておらず、最後の連絡が訃報だっとのこと。

52歳という若くして急逝してしまった星野敬太郎氏。お悔やみ申し上げます。

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